信じられないよ。すべての友達と、地元にいる家族に感謝の気持ちでいっぱいだ。この優勝を近年他界した両親に捧げたい。父と母がこの勝利を送り届けてくれたと感じてる。これでランキングも上がるし、すごく興奮してる。でも、いまはそのことより、この瞬間を感じていたい。
–ライアン・カリナン
今年で3年目となった国内トップグレードのQSイベント、千葉一宮オープン。初代2016年の優勝者エバン・ガイセルマン(アメリカ)、2017年ジェシー・メンデス(ブラジル)に続く3人目の王者のライアンは、勝利者インタビューで目を赤らめながらこう語った。
コンテストの前半、会場の釣ヶ崎海岸、通称志田下ポイントはグッドウェイブに恵まれた。東京オリンピック会場に正式に決まっていたものの、別の開催地案としてウェイブプールが浮上。が、本戦会期中に最終的に海=志田下で行われることをISA会長フェルナンド・アギーレ氏が表明し、より注目を浴びる格好になった。CTへの再入幕を目指す元CTツアラーをはじめ、我らが波乗りジャパンやブラジリアン・ストーマーが2020年の前哨戦ともいうべき熱戦を展開。が、残念ながら最終日は、北東からのオンショアが吹く腰サイズのコンディションになってしまった。
シフティだったし、決して理想的なコンディションじゃなかったけど、適応すればなんとかなった。ぼくも2本乗ることができた。セス(モニーツ)はこのイベントを通じてとにかくヤバかった。10ポイントを叩き出したし、驚くべきサーファーさ。彼には大いなる未来がある。彼とこのときをシェアできてストークしてるよ。
–ライアン・カリナン
冒頭のインタビューを、2018年の王者はこうコメントして締めた。
将来を嘱望されていた、オーストラリアのエアリアル・スターだった。ジャック・フリーストーンやマット・バンティング、クリード・マクタガード、ノア・ディーンらとともに、『スタブ』や『WHAT YOUTH』といった若い世代に人気のメディアで常に脚光を浴びる存在だった。
が、2011年、19歳のときに参戦していたバリでのオークリー・プロジュニアのフリーサーフィン中、ショアブレイクでバックサイド・リバースをかけた際に着地に失敗。利き足の左足首靭帯の完全断裂に加え、ヒザをひねる大ケガを負った。それまでのライアンのスタイルは、バカでっかいエアーが特徴。恐れ知らずのアプローチが招いた結果だった。
下の動画は、「こりゃいつかケガするわ・・・」感満載の恐れ知らず時代と、負傷後のリハビリ生活をフィーチャーした作品(ティーザー)だ。
そして2013年、リハビリを終えたライアンはコンペシーンに復帰。以下がこれまでのファイナルランキングだ。
◉ライアン・カリナンのランキング実績
2013:QS 76位
2014:QS 73位
2015:QS 10位
2016:CT 34位 / QS 17位
2017:QS 52位
上記のように、2016年にCTへのクオリファイを実現している。しかし、ツアー初戦=ゴールドコーストでのクイックシルバー・プロがはじまる前に父親が他界。翌2017年には母親が、長年闘病してきた白血病が原因で亡くなった。こうした背景もあり、初めてのメジャーQSイベントで頂点に立ち、感極まっての涙だった。
かくしてエモーショナルなシナリオで幕を閉じた今大会。ファイナルの結果はこうだ。
◉2018年WSL-QS6000千葉一宮オープン 大会結果
1位:ライアン・カリナン(オーストラリア)
2位:セス・モニーツ(ハワイ)
3位:アレックス・リベイロ(ブラジル)
3位:ノエ・マー・マクゴナグル(コスタリカ)
これだけ見れば、国籍のばらつきはありがちなバランスに見える。
が! その過程には、あのブラジリアン・ストームが猛威を奮っていた・・・
こちらをご覧いただきたい。
これは、過去7年におけるQSシリーズのトップ100選手のエリア別割合の経年変化だ。2011年という中途半端な年からの理由は、いま現在のWSLサイトで調べることができるデータの都合上、そうしている。パーセントで表記しているが、トップ100人の比率なので、たとえば2011年のオーストラリアの26%=26人、ブラジルの20%=20人というわけだ。
アメリカはやや下がり気味だけど、若干というレベル。ハワイは波あるものの、明らかな潮流は見えない。しかし、ブラジリアン・ストームの勢力拡大は顕著。ストロング・オーストラリアの牙城を奪っている格好といえる。
ここでざっくりと、ブラジリアン・ストームの流れを説明しておこう。
ブラジリアン・ストームをおさらい。
② スポーツとしてのサーフィンへの投資が進み、2000年代半ばまでの数年間、ブラジルは世界最多のQSイベント開催国に。
③ アマチュアシーンが強固になり、ドリームツアーで結果を残すにはビッグウェイブでの経験が不可欠であることをスポンサーが気づき、シーンが変化。若いうちから世界を回り、英語を学びながらクオリティの高い波でのサーフィンを修学。
④ ブラジルの若手育成の先駆者、ルイス“ピンガ”カンポスらがアドリアーノ・デ・スーザに対し、世界を転戦する前の数年間、トレーニングをしっかり積ませる戦略を展開。これが奏功し、ブラジリアン・ストームを牽引していく。
⑤ 2011年、ジョンジョン・フローレンスとともにデビューしたガブリエル・メディナが、フランスでのクイックシルバー・プロと、サンフランシスコでのリップカール・プロ・サーチで優勝。とくに後者は、ワールドタイトルを獲得したばかりのケリー・スレーターをクオーターファイナルで破り、ツアー最年長・40歳だったテイラー・ノックスをセミファイナルで撃破。当時17歳だった少年が放ったインパクトにより、QSの枠を超えCTシーンにおいてもブラジリアン・ストームを知らしめることに。
⑥ 2014年、ガブリエル・メディナがブラジリアン初のワールドチャンピオンを獲得。2015年にはアドリアーノ・デ・スーザが続き、ブラジルの強さがマグレではないことを証明。
⑦ 2018年、CTツアーにおいてもブラジルが最多勢力(34人中11人・32%。オーストラリアは8人・24%)になる。
過去3年の千葉一宮オープンでも勢力上昇。
WSLのデイリーニュースでも、今回のQS6000はブラジリアン・ストームの勢いをスクープしていた。では、過去3大会の勢いにどんな変化があるのか。ラウンドごとに検証していこう。
上のグラフは2016年から2018年までの各ラウンドで、出場選手の多い国の占有率を示したもの。まずはR1〜R3までを見ていく。ちなみに2016年だけはR6までラウンドがあり、2016年のR1が48人(12ヒート)だったのに対し、2017年と2018年は96人(24ヒート)になるなど、フォーマットがやや違う。そこで、人数ではなく割合で表記。2016年R6については別途、円グラフで後述する。
トップシードが出てくるのはR2から。そのため、R1は開催国の日本が多く、その次にコンペ大国が続く。日本以外ではオーストラリアの参戦率が高い。その一方で、実はブラジルはそれほど高くない。ただ、R2へのラウンドアップで差が出てくる。2018年を見てみると、オーストラリアが19人中9人=47.4%であるのに対し、ブラジルは12人中10人=83.3%と、勝ち上がり率が圧倒的に高い。ちなみに、アメリカは8人中6人=75.0%と、ブラジルに次ぐ強さを見せた。
R2からはCTへのクオリファイをかけて世界をまわるトップシードが登場。96枠のうち48枠(2016年は72枠)を彼らが占め、そこへR1からの勝ち上がり組が加わると、ブラジルが比率でトップに。その割合は2016年から確実に上昇。R2からR3に勝ち上がる比率も、2018年はブラジルがトップで23人中14人=60.9%。オーストラリアは21人中12人=57.1%。日本は9人中3人=33.3%に留まっている。
R3の構成比でもブラジルは確実にシェアを拡大。ブラジリアン・ストームの勢いが見て取れる。オーストラリアも2018年は昨対比で健闘していて、48枠中12枠を確保。もはやヒート表の半分以上がBRAとAUSで埋め尽くされている状態。波乗りジャパンはもちろん、ハワイやカリフォルニアのサーファーに親しみを感じる日本のサーフィンファンにとっては、招かれざるウネリといったところ・・・。
R4でもストームの勢いは下げ止まるどころか、うなぎのぼり。とくに2018年は約4割がブラジリアン。さらにR5への勝ち上がり率が、べらぼうにすごい。9人中8人=88.9%がラウンドアップ。敗北の運命をたどった1人も、3人ヒートで3人すべてがブラジリアンという潰し合いの結果が招いたもの。もしこれがバラけていたら、全員ラウンドアップという可能性も無きにしもあらず・・・。
もはや検証するのも辛くなってきたR5。やっぱりだ・・・やはりブラジルの占有率は高まるばかり。2018年に至っては16人中8人、ヒート枠の半分をBRAの文字が占めた。ただ、マンオンマン対決となったこのラウンドでも潰し合いがあり、ハワイのセス・モニーツやフランスのチャールズ・マーティンが勝利してくれたこともあって、クオーターファイナルへの進出は4人=50.0%に留まった。
さて、前述のように2016年だけR6があるのでその割合を円グラフにするとこうなる。
このときはアメリカが18.8%(16人中3人)ともっとも多く、ブラジルはオーストラリアと並ぶ12.5%(16人中2人)と低空飛行。が、その後は上記の経年変化グラフが示すようにクオーターファイナルで上昇気流に乗り、ストームの勢力は増大。こうした猛威による潮流を反映して、ここ2年はファイナリストにもブラジリアンが名を連ねている。過去3年間の3位までの結果はこうだ。
そして、2018年5月31日現在のCTとQSのトップ10ランキングはこうなっている。
サーフコンペの創世記、1964年に開催された初めての世界選手権は:
優勝:ミジェット・フェレリー(AUS)
2位:マイク・ドイル(USA)
3位:ジョイ・キャベル(HAW)
以後、〈ショートボード革命〉でオージーがアメリカを席巻し、〈ライトニングボルト〉が輝いていたノースショア・ハワイ時代を、オージーが〈バスティン・ダウン・ザ・ドア〉。サイモン・アンダーソンが3枚フィンの〈スラスター〉トライフィンを開発すると、トム・カレンが登場してアメリカの英雄に。オージーのトム・キャロルやマーク・オクルーポが迎撃したのちに、〈モーメンタム・ジェネレーション〉が台頭。まもなく〈クーリーキッズ〉が出てきて、アンディ・アイアンズやツアーに復帰したケリー・スレーターとともに、世界の頂点を競い合ってきた。
50年にわたるアメリカvsオーストラリアの構図に風穴を開ける〈ブラジリアン・ストーム〉。これまでとは違う土壌で発生したゲームチェンジャーたちの猛威はしばらく続きそうだ。