【ケガ・病気】椎間板ヘルニア治療、デイブ山谷さんのケース。

病的な痛みを伴う腰の椎間板ヘルニアを、手術療法で治したデイブ山谷さん。現在は回復に向けてリハビリ励んでいる。

サーフィンフォトグラファーとして活動しているデイブ山谷さん。マウイ出身の元プロサーファーで、いまは千葉・鴨川でイクメン生活。日本人妻の悦子さんと2人娘をささえるため、目下のフルタイムの仕事は英語講師。そんなデイブさんから連絡があった。新年早々、椎間板ヘルニアの手術をしたというのだ。発症部位は、腰。そこで、明日は我が身かもしれない腰椎椎間板ヘルニアについて、デイブさんの事例から学ばせてもらおう。

Photo: Dave Yamaya Text: Junji Uchida

 

首や腰の病状を悪化させやすい、パドリングの姿勢。

長いことサーフィンしていれば、カラダもきしみ出してくるもの。冷たい水や風に長期間刺激されることで、耳の中の骨が盛り上がり外耳道を塞いでしまうサーファーズイヤーしかり。紫外線により、白目の一部が目頭側から黒目にかけて三角形に伸びてくる翼状片(よくじょうへん)しかり。

参考:

サーファーズイヤーの取り扱い(J-Stage)

目の病気 翼状片(日本眼科学会)

 

椎間板(ついかんばん)ヘルニアもサーファーを悩ます病気のひとつだ。

サーファーに限らず、あらゆるアスリートたちが抱えている爆弾のようなもの、それが腰と頸椎(けいつい)のヘルニアや骨の変成症と言われています。突発的にこのような症状や痛みに遭遇したとき、一体どうすればいいのか?『サーフィンをやめてしまえばいいじゃないか』では答えにならないと思います。特に、サーフィンはある種の中毒のようなもの。簡単にやめられるわけがない。日本全国にはこの頸椎症や腰の痛みに悩んでいるサーファーが大勢いるはずです。

 

若いときは椎間板がみずみずしくて柔軟なのですが、これが加齢とともに硬くなっていきます。首や腰の病気は体質的な部分も弱冠ありますが、基本的には後天的な環境に大きく左右されます。

重い物を持つ仕事や、サーフィンだったらパドルの姿勢が良くない。病状を悪化させやすい姿勢なんです。それが原因で、首や腰の病気に悩まされる方も少なくない。でも、だからといってサーフィンはやめられませんよね(笑)

 

出典:田辺脳神経外科病院・頚椎骨軟骨症 サーファーの医学

上記の引用文は、大阪・藤井寺市にある田辺脳神経外科医院のウェブからの抜粋させていただいたもの。こちら、古巣時代に取材した記事で、首や腰の痛みに悩む多くにサーファーの参考になるだろうと、今なお掲載し続けてくださってます。ぜひリンクもご覧ください!

 

デイブ山谷さんって、誰?

いま暮らしている鴨川で大きなコンテストがあれば積極的に動く。アロハのハート、リスペクトの気持ちがあるから地元からも歓迎される。

 

『サーフクラブ』のコンテンツ作りの協力者でもあるデイブさん。ロングに明るい人ならご存知ですね。もともとはJPSAを転戦していたプロロングボーダー。おもな戦績は下記のとおり。

【コンペティションサマリー】
  • 1988-1991:スキムボーダー(アマ&プロ。数戦の優勝歴アリ)
  • 1998-2003:サーフコーチ/チームキャプテン(MOKU HAWAII/ハワイ地域)
  • 2001-2002:HSAシーズン優勝(ロングボード部門/ハワイサーフィン連盟)
  • 2001-2002HSAチャンピオンシップ優勝 (ロングボード部門/ハワイサーフィン連盟
  • 2001-2002USSFチャンピオンシップ2位(ロングボード部門/米サーフィン連盟)
  • 2001-2002ASPハワイ地区13位(ロングボード部門/ASP=WSL前身団体)
  • 2003-2005鴨川シティカップを含む日本でのローカルコンテスト数戦で優勝
  • 2005:JPSAロングボード部門参戦。初戦のスリランカ大会は5位
  • 2006-2011:JPSAロングボード部門でプロツアーをエンジョイ
陸の上では穏やかなジェントルマン。が、ひとたび海に入ればプロサーファーに様変わり。ショートボーダー顔負けの激しいアクションを見せる。Photo: Courtesy of Kirby Fukunaga / Go Naminori

 

そしてこちらが写真家としての作品事例。数100枚もの写真がサーフィン雑誌で使われ、『サーフライン』の“今月のベストショットTOP10”で2位に選ばれたこともあるから、見たことある人も多いはず。

元グランドチャンピオンでパイプライナーの小川直久。鴨川にはナオさんをはじめとするフォトジェニックな被写体が多く、それがクリエイティビティを刺激し撮影へと誘うのだろう。
写真の腕前は『サーファーマガジン』をはじめとする海外の巨大メディアでも使用されるほど。 オフ・ザ・ウォールでジェイ・トンプソンを捉えたこのショットは、2016年2月の『サーフライン』Photos of the Monthで2位に選出された。
鴨川の東京五輪・誘致活動ポスター。デイブさんが撮ったグランド下でのインサイド-アウト・バレルが使用された。
2016年に創刊したボディボードマガジン『STOKED』のカバーショットもデイブさんの作品。ライダーは大原紗莉。

 

冬は乾燥し、夏は湿気の多い日本。が、身体管理はハワイ流のまま……

そんなデイブさんに椎間板ヘルニアが発症。原因として思い当たる節はあるのか。

「身体管理を日本の気候に合うよう変えなかったことが理由だと思う。ハワイは1年を通じて、気候が安定している。それに比べて日本は、冬は乾燥するし、夏は湿気が多い。
 
 来日してすぐ、友達でスポンサーでもあったMOKU HAWAIIの平野杉から、海に入る前にもっとストレッチしないとダメだと言われた。
 
にもかかわらず、ぼくはいっさい気に留めてこなかったんだ。ダイエットもそうだし、ストレッチもそう。ハワイと違うケアをすべきだったよ」

 

ジェイミー・オブライエンに聞かれたことがある。日本のサーフィン雑誌は、なぜあんなにもスタジオでのストレッチ写真を掲載するのかと。

 ジェイミーいわく、彼は関節がやわらかすぎて、入水前にあんなに伸ばしたら、逆にクネクネしちゃってライドできないと笑っていた。

 また、シェイパーの千葉公平さんは、ハワイと日本では湿度が違うから、サーフボードづくりのプロセスもまったく異なると言っていた。

 「そういうことなんだ。日本の四季は湿度だけじゃなく、気温の差も激しいし、水温も大きく変わる。ハワイは変動の振れ幅があまりないから、筋肉をルースにしてくれる。サーフボードについては、ほぼ湿度が要因だと思うけど。
 
なのにぼくはノーケアだった。やがて2013年、背中の痛みが始まった。1年後にはJPSAへの転戦をストップ。でも、日常生活は送れてたから、とくに手当しないまま過ごしていたんだ」

 

かくしてサーフィンするペースはスローダウン。写真の世界に没頭していったこともあり、入水回数は年に3〜5度程度にまで減ったそう。

「2016年、右足の感覚が無くなりだした。同じ年の10月には初めてのブロック注射。のちの経過観察でネガティブ要因はなし。それを境に、かかりつけのドクターと手術について議論するようになった。
 
実はぼくの妻の叔父が鍼灸師で、来日したばかりの2003年に施術を受けたことがある。右肩の腱板断裂(けんばんだんれつ)で、短い針を15本、2週間刺したままにする術法だった。抜針してから一度たりとも痛みはない。触感の強い人だったんだと思う。盲目だったから。
 
残念なことに2年ほど前に亡くなってしまった。もし叔父が生きていたら、間違いなく診てもらったと思う。
 
もし近くに良い鍼灸院があったら訪ねたかった。鍼灸院は無くもない。だけど、誰かが“あそこ良かったよ”というところを聞いたことがない。
 
谷内太郎や小川ナオ(直久)、脇田(貴之)さんをはじめ、いろんな友達に、手術以外の選択を薦められた。ただ、良い施術所の多くは東京ばかり。予約を取ることすら難しい。英語教師の仕事はフルタイムだし、スケジューリングもままならないし……」
 

鋭利な刃物でグリグリされているような、新たな火種を併発し、手術を決断。

“QUALITY OF LIFE”と記されたドクターヘリ・ポート。その沖で割れる無人の波。まるでサーファーのための病院のようだ。

 

デイブさんが診てもらっていたのは、サーファーにはおなじみの亀田メディカルセンター。日本屈指のコンテストアリーナ、マルキを望む先進医療施設で、メディカルツーリズムの先駆けだけあって、まるでリゾートホテルのよう。

勤務医や看護師にサーファーも多く、医療従事者向けのサーフィン大会、亀田カップを主催していることでも有名。

前述の田辺脳神経外科医院・田辺院長は、サーフィンに理解のある医師と出会うことは、治療への適切な導きを得るための重要なファクターのひとつと言っていた。はたしてデイブさんの担当医は……

残念ながらノンサーファー。一度だけサーフィンしようと誘ったら、笑っていたそう。

そんな仕事一筋系の先生との経過観察が続いていた。ところが……

「その後の何度かのブロック注射と、新たなMRIおよびCTスキャンの結果から、椎間板ヘルニアとは別の症状が見つかったんだ。
 
ヘルニア発症部分のすぐ右の骨が、異常なまでに肥大。2つに増えた症状が、仙骨の神経根を刺激する坐骨神経症を誘発して、足に激痛を走らせた」
 
右で囲んだ赤丸が椎間板ヘルニア。髄核が飛び出しているのがわかる。左の赤丸が、異常に肥大した上関節突起と呼ばれる骨。
 
「まるで背中の腰骨の奥を、鋭利な刃物でグリグリされているようだった。12月に入ってからずっと。
 
骨が肥大していることを知って、ぼくはとにかく早く手術してくれと頼んだ。ドクターは他の治療法でいきたかったみたいだけど。
 
ドクターが言うには、日本人は手術への決断に時間がかかるみたい。外国人は決めるのが早いらしいよ。
 
不安なんてなかった。最愛の娘と2週間ものあいだ、離れ離れになることに落胆していただけで。
 
関谷利博や、能弘(よしひろ)、直久、幸男の小川3兄弟、松山欣則(よしのり)、石井寛路(ひろみち)といった鴨川のプロサーファーたちが何度も何度も来てくれたし。ほんとうに心強かった。
 
験を担いで1月11日、つまり111のラッキーデイに施術してもらった。手術時間は3時間ほど。前に比べればずいぶん痛みが無くなり、ゆっくりだけど回復に向かっている」
 

手術からおよそ半年後の、夏にはサーフィン復活の見込み。

手術後は血の塊が飛んで、脳や肺などの梗塞を誘発する可能性があった。その防止のためのポンプを装着したという。
手術から1週間経った1月18日の様子。自らに厳しいリハビリを課し、より早い回復を目指す。

 

妻の悦子さんは、もちろんデイブさんの手術が心配だった。が、いまの時期は感染症が流行っているので、2人の子供が具合悪くなったらどうしようというのでいっぱいいっぱい。

あとは、子供たちがパパに会えずに寂しがるかと思っていたものの、〈Facetime〉があったから大丈夫だったそう。

「・・・・・・」
 
「手術後にすぐに足の感覚が戻ってきた。背中はまだ少し痛むけど、日に日に良くなってきている。いまは太もも裏のハムストリングと筋肉のストレッチ。2ヶ月以内に背筋の強化もスタートできる。
 
ドクターからは、仕事ができるようになるまでに必要な期間は6週間と言われている。水中写真を撮るために泳ぎ出せるのは5月頃で、夏にはサーフィンできるらしい。
 
梅雨明けから始めるとして、手術日を差し引くとだいたい半年。ちょうど水の冷たい時期をリハビリに充てられる(笑)。すべてのケースがぼくと同じではないけど、サーファーにとってはひと夏を無駄にしない、長期的なスケジューリングは大事かもしれないね」
 
 

デイブ山谷さんが主催する『Share The Stoke Project』はこちら

 

*本記事は椎間板ヘルニア治療に対し、手術療法を推奨しているものではありません。情報の完全性・正確性・個々の目的への適合性などを保証するものではなく、本サイトの利用により生じた閲覧者のあらゆる損害に対して著作権者および本サイトの管理者は一切責任を負わないものといたします。あらかじめご了承ください。