今シーズンのリップカール・プロ・ベルズでCT人生に終止符
Video: Courtesy of RIPCURL Text: Junji Uchida
3度のワールドチャンピオン、ミック・ファニングが引退を表明した。自身のインスタグラムおよびWSLのウェブサイトで公式声明が発表された。
“ホワイト・ライトニング”の異名を取り、世界最速と言われるハイスピード・ターンが武器。精度の高いパフォーマンスはパワフルで、正統派のサーフィン好きからの評価が高かった。2000年代初頭、クーランガッタ出身のジョエル・パーキンソン、ディーン・モリソンとともに新時代のオージーサーフィンを構築。クーリーキッズと称されるムーブメントを引き起こした。
靭帯断裂からの復帰やシャークアタックの撃退劇など、波乱万丈のツアーキャリア。長きにわたるコンペティション生活にモチベーションが途絶え、17年間着続けたジャーシーを脱ぐ決断をした。最後の試合はゆかりのあるベルズ。全速力でスパークする白い稲妻の真骨頂を目に焼き付けておきたい。
WSLから届いたニュースの全文を下記に記すのでご拝読ください。
Cheers Mick!
オーストラリア出身の3度のワールドチャンピオン、ミック・ファニングがつい先程、CTからの引退を表明した。2018年シーズンの早期2試合:クイックシルバープロ・ゴールドコーストおよびリップカールプロ・ベルズビーチには出場するが、ベルズボウルで知られるコンテストを最後に世界最高峰のサーフツアー生活に終止符を打つ。
「日々明けても暮れても、戦うことに対して自分を鼓舞することができなくなってきている。17年間CTで戦い続けてきて、その前にはQSやジュニアでもやってきていて。もはや100%の気持ちで挑めなくなってしまったんだ。もちろんサーフィンはいまも愛しているし、サーフィン自体にはいまなお興奮するけど、人生において新たなフェイズを選択することにしたのさ」
「幕引きはベルズというシナリオはずっと考えていた。ベルズこそが自分のキャリアのはじまりだから。CTでの初優勝もベルズだし、絆を感じるんだ」
ミックは2002年、ワイルドカードで出場したリップカールプロ・ベルズではじめて優勝を手にした。その勝利が彼をエリートレベルにまで引き上げていくことに。やがて彼の功績はサーフィン史に刻まれることになった。
Jベイにもゆかりがある。2003年のルーキーイヤーではJベイ戦で勝利し、キャリアと人生の転換期を迎えた。2015年にシャークアタックに見舞われたのもJベイでのファイナルヒートだ。
ワールドツアー参戦から2年が経った2004年、メンタワイでサーフィン中にフローターをかけて失敗。膝腱の肉離れと靭帯断裂を負傷し、数カ月のあいだサーフィンができない生活を強いられる。が、諦めるどころかそのケガを逆にバネに変え、モチベーションを高めることで以前より強くなって帰ってきた。翌2005年にカムバックを果たし、わずか3年後に最初のワールドタイトルを獲得する。
キャリアの道のりはぼくらの想像以上に険しかったはずだ。公然にさらされた状況下での、個人的な勝利と悲劇。しかし、結果、選手生命の終わりが危ぶまれた靭帯断裂を克服し、ライブ放送のさなかに襲ってきたサメをパンチして撃退、完全無傷で戻ってきた。
そんな稀有の出来事に見舞われるツアー生活で22戦を勝利し、3度のワールドチャンピオンという輝やかしい足跡を残してキャリアを終える。
「何年にもわたるツアー生活は、とても楽しかったよ。山あり谷ありのローラーコースターであることは間違いない。でも、振り返れば最高の思い出ばかりだ。自らを奮い立たせて心身とも作り上げ、ヒートに勝ち上がって優勝をして、考えもおよばない場所で友だちと勝利を祝うんだ」
おめでとう、ミック。ぼくらは君と、君の成し遂げたことすべてを誇りに思っている。そして、次に何をやってくれるのか知るのを待てないよ。